フジパレスシニアコラムページ - 第30話

第30話「メモリーズ~ プレイバック 2019」


自分の“おばあちゃん”を安心して預けられる住まい

私の祖母は、2015年10月から2019年5月までの約3年半、市内某所のフジパレスシニアで過ごしました。入居のきっかけは、それまで、自宅で生活していた祖母が肺炎を患い入院することになりました。一般的に肺炎と言えば、さほど重篤な病気ではないという印象の方が多いと思いますが、高齢者にとっての肺炎は命にかかわるようなこともあり、入院したときには、最悪、万一のこともあるのではないかと心配したほどでした。幸いに、病院での適切な治療と本人の頑張りにより、ほどなく、何とか退院できるまでに回復しました。

ただ、これまでの自宅に戻っての療養は、本人にとっても家族にとっても大きな負担になるだろうということから、施設や高齢者住宅への入居を検討しました。私も家族には、サ高住の制度やしくみ、当社のフジパレスシニアの話をしたことはありましたが、詳しい話はしていませんでした。

ですので、当社のフジパレスシニアへの入居を検討していると聞いた時には少し驚きもあり、また、嬉しくもありました。退院にあたり、病院の相談員さんから、高齢者住宅のパンフレットを3件分紹介してもらい、そのうち2件を見学して、ここに決めようとしているとのことでした。後で聞いた話ですが、この相談員さんから紹介された高齢者住宅は、全て当社のフジパレスシニアだったそうです。


最終的に決めたところは、家から近くて、費用もさほど高額でなく、『安心しておばあちゃんを預けられる』ということで、親戚、家族とも安心し、大変喜んでいました。

元々祖母は、人見知りで内気な性格、集団での生活にはなかなか馴染めないのではないかという懸念もありましたが、入居後はスタッフの皆様の温かいサポートのおかげで、季節のイベントを楽しんだり、食欲も旺盛になり、みるみるうちに元気になってきました。

気がつけば、定期的に母や伯父、親戚縁者が部屋を訪ねて、親子に加え、孫やひ孫まで一堂に会する機会が増えました。私も妻や子供たちと面会に行きましたが、顔色も良く、非常に穏やかな表情で生活している様子に安堵していました。


このまま、この平穏な時間がずっと続くのではないかと思っていましたが、2019年5月ごろ体調が急変し、入院することになりました。一時的な症状であれば、回復後また戻ってくることも考えられましたが、年齢や症状から考えて、すぐの回復の見込みは薄いという判断から、約3年半お世話になったフジパレスシニアを一旦退去しました。

入院中は母や叔父、叔母らは、毎日のように祖母のお見舞いに行き、残された時間を共有しているようでした。昏睡状態が続いておりましたので、なかなかコミュニケーションもとれず、いつどうなってもおかしくない状態でしたが、とうとう9月8日の朝に永眠しました。突然のことでびっくりし、動揺もしましたが、非常に安らかで幸せそうな顔を見て、間違いなく幸せな人生であったのだろうと感じました。

初七日法要後に、伯父から掛けられた言葉が非常に印象的で、今でも心に残っています。3年半前にフジパレスシニアに入居するときに、私が『おばあちゃんはもちろん、親戚や家族の助けになれるような仕事をしていて、本当に良かったと思う。これから何かあれば出来ることはしっかりやるので安心して下さい。』という話をしていたそうです。私も何気なく発した言葉だと思いますが、伯父はその言葉を覚えてくれており、本当にあの言葉に感動したし、救われたと言ってくれ、あらためてこの仕事をやっていてよかったなあと実感しました。


身近な家族が、自分たちが運営する住宅に入居させてもらい、また、天寿を全うしていく姿を目の当たりにして、まず、私たちは一日一日を本当に大切に生きていかなければならないと思いましたし、我々の事業は多くのお困りの方を救える、素晴らしい事業、いわば『志事』であることを再認識することが出来ました。これからも私たちの役割を全うし、一人でも多くの方のお役に立てるように邁進して参りたいと思います。